仕事
ラテン文化圏(中南米とアフリカ)での開発プロジェクトの調査、計画作成、及び管理、建設プロジェクトの施工監理と安全管理。
30年以上にわたり、国際協力関係の仕事に従事する。
国際協力機構(JICA)が途上国において実施する技術協力プロジェクト(ODAの一種)には16年以上係わる。中南米での開発調査の通訳、翻訳から、技術訓練の専門家や、研修監理員などを経て、プロジェクトの運営全体を管理するコーデイネーターを4件勤める。
高校時代に牧場経営を引き継ぐ 大学時代は通訳や多様多彩なアルバイト
アルゼンチンの高校最後の年に父がなくなり、牧場管理を引き継ぎながら、アルゼンチンの大学に進む。夏休みや冬休みを利用しパラグアイで日本の調査団の通訳や翻訳の仕事をして学費を稼いでいた。
アルゼンチンの大学を後1年という時の夏休みのアルバイトの仕事で国際協力機構(JICA)の通訳として働いた農業開発調査が面白くて、大学には戻らずその仕事に残り、大学中退のまま国際開発の仕事を続ける。
通訳や翻訳の仕事を抱えながら、知り合いが運営するパラグアイの邦人紙「日系ジャーナル」を手伝い、夜や週末は編集記者の仕事もしながら日本語を強化する。
その後1985年在パラグアイ日本大使館に就職、4年間勤務するが、技術協力を中心に無償資金援助、円借款、社会問題調査から経済問題調査まで広く務め、自分にとって一番大きな財産となる貴重な経験を積む。
しかし1989年にクーデターがあり、パラグアイでの35年来の軍事政権が終わったのをきっかけに退職し、次のステップアップを狙ってバブル景気の日本に出稼ぎ渡航する。
日本への出稼ぎで国際プロジェクトの専門家に
日本ではバブル景気に踊る建設業の土方仕事やガードマンから、コンビニ店員等まで広範囲な仕事を経験するが、1990年に国際協力事業団よりホンジュラスに農業開発プロジェクトに専門家として派遣されたのをきっかけに、ニカラグア、コスタリカ、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイ、パナマそしてブラジルとラテンアメリカでのさまざまな開発プロジェクトに携わった。
2002年からは日本にNGOを設置してラテンアメリカでのNGO支援活動を目指しながら、2003年8月から1年間マンション総合管理会社で日本の会社勤めも経験。
2005年はアフリカのカーボベルデに給水設備建設事業の施工監理者として1年間赴任する。
2006年は半年ほど日本国内のプラント建設現場で仕事をした後、7月よりロシアのサハリンで建設中の世界最大の天然ガス液化プラントの建設現場に応援に派遣される。
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日本から来たJA経済ミッション歓迎昼食会での
パラグアイ商工大臣の通訳

