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ラテンアメリカで自給自足で運営する「人類文化学園」の設立計画

計画の経緯

 南米移住での経験から

 社会を造り、国を造るためにはまず人を造らなければなりません。教育こそが、国と地域社会の発展の土台であると信じていますが、開発途上国においては、経済的問題から良い教育体制が確立されるには難しい状況があり、また私立のような経済基盤をもった学校があったとしても学生側の経済的状況からそこで学ぶ者が限られるという現状があります。

 社会及び国の発展に寄与できる人的財産となる全人教育を、最高の設備態勢で無料提供でき、それを維持するための独自の収入源をもった学校というのは不可能でしょうか。

 これは、南米でも特に教育が遅れていると言われているパラグアイで、小学1年生から教育を受けた私や弟が痛感した課題です。 そこでは国家予算が乏しく、学校は建てても設備は何もなく、教師の給料が生活が成り立たない程安いために、よい教育者が育たない現状の中で私は、この教育を何とかしなければこの国に明日はないと少年心に思いました。 

 私は幸いにして、アルゼンチンのユニークな全寮制の私立校に学ぶ機会がありました。そこの高校に学ぶ中で父親が病気でなくなり、経済的支援を失いましたが、働きながら勉強できる制度のお陰で高校を卒業し、大学へも進むことができました。そのために、大学に進む際には、こういうお金がない子供でも働きながら学べる学校をつくろうという目的をもって大学に進み、勉強よりも大学内の産業部門に関心をもっていろいろな職場体験をしてあるきました。

 この学校は、セブンスデーアドベンチスト教会というキリスト教プロテスタント系の宗教法人が世界中に運営している学校の一つで、農場からさまざまな食料加工工場や工房などをつくり自給自足と産業部門による経済活動を行える体制を整えた上で学生に仕事と勉強の機会を提供するようにしています。また、他にもいくつかの宗教法人が運営するこの類似形態の学校は存在し、経済的に恵まれないこどもたちが進んだ教育を受けることのできる貴重な教育機関として社会に貢献しています。 また一方では、企業が造った学校の一例として、ブラジルで農業機械のメーカーが設立した全寮制度のポンペイア農業技術学校や、USAIDがホンジュラスに設立し、NGOとして運営されているパンアメリカン農業学校なども類似案件として参考にできます。  これらの学校を参考に、一定の宗教、思想、文化にとらわれない国際的な新しいスタイルの学校を作ってみようと考えました。 

 

父の遺言状に見つけた父の夢と南米移住の目的

 

  私は個人的に教育環境の乏しさを痛感した経験から理想的な学校を作る夢を描くようになってきた経緯がありますが、一方では、父が死んだあと父が残した遺言状の中に、父の人類文化学園を作る夢を、南米で生まれた子供たちと力を合わせて実現させることを私に託していることが書かれており、そのためには私は大学にも行き、教育と経験を十分積むことが述べられており、そして父の遺産の土地はその学園のために使うようにとようにはっきり書かれていました。 そしてこの人類文化学園建設こそが父が一族を引き連れて南米パラグアイに移住してきた目的で、人生最後の夢だったのです。

 私は父の夢を知らずにして、パラグアイの小学校に入った時から理想の学校を作る夢を目的にして生きてきたので、これが自分の使命だと感じるようになりました。

 

関わった仕事はほとんど、学校や訓練センター
 

 1985年に在パラグアイ日本大使館に就職し、日本政府のODAの仕事で無償援助案件や技術協力案件を多数担当しましたが、この中には、「人造りセンター建設計画」(右写真)、「アスンシオン大学獣医部学拡充計画」や、職業訓練センタープロジェクトなどの教育関係が多数ありました。

 また、一方では自分で身内の協力を得て小学校のないところに私費を投入し手作りの学校つくりをやってみました。(右上写真:パラグアイに作った小学校、2番目写真:自分の子供もいれるためにパナマに作った小学校)

 その後、1990年からはJICAの専門家となり、中南米において日本の技術協力プロジェクトの管理をやりながら、機会があると自分で学校つくりをやってきました。パラグアイとパナマで一つづつやってみましたが、文部省承認の公立学校として教師を国から派遣してもらって任せてみても、その国の乏しい予算とズサンな管理体制下では教師のモラルが安定しないため生徒の純粋な向上心まで消えてしまう現象を目の当たりにしました。

やはり、経済的に自立した学校でさらに生徒に経済的負担をかけずに教育のチャンスを与える学校とするためには、生徒とは別に持続的な収入源を持ち、さらに生徒に衣食住を揃えて提供できる体制が必要だというのが結論です。そのためには農場、畜産、食品加工、そして手工芸などの「もの造り」産業をもった体制が必要であり、私立の自給自足で運営できる学校を造るべきだというのが結論です。
   この自給自足経営は、日本の岩手で
県議と教育委員長を務めた父がもっていた理想の学校の在り方ですが、日本とパラグアイの数箇所において原始林を切り開き完全な自給自足をやりながら、家を建て牧場を作るといった開拓生活の環境で育った私にとっては、個人的にも単なる理想ではなく実現可能な経営形態です。そして学校経営の形態としても私が学ぶことができた学校がそういう運営体制をもって実際に存在しているので、大変身近なやり方です。


 そのため、時代の流行に影響されることのない大自然の中で、各自の可能性を磨くことに集中することができる教育環境、そして平行した職場環境を確立することに挑戦してみたいと思い、与えられた職場やボランテイア活動の場で試行錯誤を繰り返してきました。 これはできるという目処がたつところまできました。 あとは資金面での参加者や協力者が現れれば建設できるところにきました。

 

 2枚の右写真は、私が学んだ自給自足の学校に興味をもった新潟出身の建築科の学生がそれをモデルにして自分で、新たに、「パラグアイにつくる自給自足の学園」という卒業設計をデザインし、大学で最優秀賞を取り、そして県でのコンペでも金賞、そして、全国コンペでも上位5に入った建築設計案。 非常にユニークな力作なので、お金が入ったら造らせてみたい。

             

人事尽くして天命まつのみ。

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米国の援助でホンジュラスに造られたサムラノ農業学校は大統領も数人輩出している名門校
高校時代を働きながら過ごした、アルゼンチンの全寮制度の学校
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大学時代を働きながら過ごした、アルゼンチンの全寮制度の学校
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農場や産業をもった全寮制度の学校は
​理想的な教育環境が整う
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パラグアイの日本大使館勤務時代に担当したアスンシオン人造りセンター
上の仕事を担当しながら、自分の農場内に作った従業員たちのための小学校
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JICAの専門家として赴任したパナマの田舎の小学校のないところに小学校を造り、先生を自費で揃え、自分の子供3人も入れる。
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