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ユートピア実現事業

 

~理想郷造りの試み~


 モアの作品「ユートピア」は、16世紀当時のヨーロッパで大きな影響を及ぼしました。
 そして、モアの作品に影響されて理想的な社会創りを考える人々が世界各地に現れました。当時の行き詰った状態にあった社会体制に夢と希望を与えたのかも知れません。それはいつの時代にも、どの国においても現状が苦しければ
、理想的な完全な社会を求める傾向は人間にとって自然なのかもしれません。

 こ
のユートピア実現の地として、当時コロンブスによって発見されたばかりの新大陸アメリカに関心が集まりました。アメリカ大陸への探検と植民地作りは、はじめは領土拡大と新しい資源の確保が目的だったスペイン、ポルトガルや他のヨーロッパ諸国の政治経済的野望と、それに便乗した冒険家たちの個人的野望によるものでしたが、その後、政治的腐敗や権力乱用のない理想的な社会作りを考えたピューリタンを筆頭とする宗教グループが次々とアメリカに渡り、根を下ろした社会造りを始めたのがアメリカ大陸での本当の意味での発達となりました。

   もちろん、モアの「原始共産主義的なユートピア思想」とは無関係に愛国心や、人道主義思想、そして特定の宗教思想に基づく理想郷や、様々な動機や
目的によってつくられた「ユートピア思想」もあります。またヨーロッパやアジアでも不正な社会権力に対抗したユートピア的社会造りの思想が現れました。
 

 経済学者たちのユートピア


   16世紀は、プロテスタントとカトリックなどによる宗教対立争いの一部としてのユートピア的社会造りがみられましたが、その後それが社会問題や経済格差問題が要因として平等や自由、人権などが観点となったユートピア社会への憧れが深まりました。これが19世紀に入り、マルクス主義の発達と平行してユートピア社会主義というものが論じられるようになりました。

 特に19世紀前半の産業革命後のイギリスはあまりにも悲惨な社会環境にあり、社会的な不安が充満していたため、ロバート・オーエン、サン・シモン、フーリエ等3人の経済学者が当時に見られる初期の資本主義に対する反動として、「共同体的」なもの作ろうと考えました。 労働者の生活状態を改善するために、紡績工場を設立したり、「共同村を建設したりした活動は、労働組合や協同組合の発展に大きく貢献することになり、彼らの影響から福祉国家
というコンセプトも生まれました。 

 ロシアでは、共産主義社会の実現ために計画された「コルホーズ」と呼ばれる「共同農場」が存在しました。これは、ソヴェトロシアの国家農業機関に積極的に参画し,ロシア農村の「協同組合的集団化」の構想を提起した農学者、アレクサンドリア・チャヤーノフの思想が土台となっているものです。

 

 文学者たちが描いたユートピア


 しかし、19世紀から現在にかけて最も大きな影響をもったユートピア思想とは、ロシアの文豪レオ・トルストイのものではないでしょうか。「戦争と平和」で知られるトルストイの作品の中には、「イワンのばか」という彼が理想とする人間像を描いた作品があり、そして徹底した人道主義、平和主義、他人への奉仕精神に基づく彼の社会思想と教育思想は、マハトマ・ガンジーから毛沢東、武者小路実篤、宮沢賢治、有島武郎など多くの知識人や指導者に影響し、そして多くの人間がユートピア建設に挑戦しています。可能性としては、イスラエルのキブツや、アメリカ大陸に渡ったメノニータやアミッシュたちのコミュニティーも彼の影響を受けているようです。
(写真: 武者小路実篤が九州に作った理想郷『日向新しき村』)

 トルストイの影響を受けたユートピア思想として、埼玉県にある武者小路実篤の「新しき村」と、南米ブラジルに弓場勇氏が造った「弓場農場」などは作者が共感を覚え、訪問し友好関係を維持する共同コミュニティーです。しかし他方で、よく作者との関係の有無について問われたことのあるシュタイナーの「ひびきの村」や、「ヤマギシの村」などについては、訪問したことも、一切の関係をもったこともありませんが、参考例として研究対象にしました。
  

 宗教者たちのユートピア造り


 宗教思想が土台となり、安定した理想的社会を築き、地域社会から尊敬されるケースも多くあります。
 実際キリスト教の原点である、キリストとその弟子たちの、家計を全部一緒にした衣食住共同体が原始共産主義の土台であるとされているため、アメリカに開拓に入った宗教グループでは経済的な自立を達成されるまでの間は、共産主義とは別に、原始キリスト教的なユートピア社会を目指したものがありました。
 その中には、米国ユタ州にモルモン教が築いたソルトレイクシティーや、世界中に見られるアドベンチストの学園都市、そしてパラグアイにある、メノニタ教団の自給自足コロニー(移住地)、イスラエルのキブツ、スコットランドのフィンドホーン共同体などが知られていますがこれらは、地域政府や国際社会にも認められた実在するユートピア社会の見本です 
 
そして、アメリカで最初に計画的に造られた都市と言われているフィラデルフィアは、理想郷作りを目指したクエーカー教の信徒たちが作った理想的都市です。

(写真:イギリスにあるフィンドホーン共同体の村)

 

 建築家たちによるユートピア都市の設計


 政治家モアが描いた「ユートピア」は、都市型理想社会といわれるもので、そこでは都市機能の利便性が問われる部分が大きく、これは都市設計を専門とする建築家たちにも大きな課題を投げかけてきました。
 この中で、建築家の中にも人類の未来を考え、地球の環境的継続や人間と自然との共生を考えたユートピア的都市造りを試みるものがいつもいました。

 1956年にブラジルの奥地のなにもなかった荒野にいきなり近代都市が建設されました。これはブラジルの首都としてブラジルの天才建築家たちによって計画されたユートピア都市なのです。<理想的未来都市ブラジリア>

 1972年には、日本の首都をもっと安全で環境のよいところへ移す案が議論され、移転先選定及び都市計画設計を含めた遷都計画のコンペが行われました。
 これには、多くの大学の都市工学研究グループが参加しましたが、このコンペで選ばれたのは早稲田大学グループの「北上京案」で、岩手の北上山系の山の中に首都を置くという大胆意外な発想でした。<ユートピアに首都を移す計画> 

 1997年に新宿でNTTがインターコミュニケーション・センター(ICC)の オープニング記念展として、情報社会化のユートピア都市の実験モデルを展示しました。
この展示は、情報社会化してゆく21世紀にむかって、ひとつのユートピア都市を構想し、具体化するための実験モデルとした「海市=ミラージュ・シティ」で、中国のマカオ沖、南シナ海上の人工島の計画です。

 目下、この計画は市当局は真剣に受けとめ、検討中であり、提案者側も投資的、技術的な研究をすすめています。
 海上に都市を計画するとは、トーマス・モアのユートピアと同じシナリオを近代技術のすべてを盛り込んで再表現したもので、これこそが現在版ユートピアと呼べるものでしょう。
<「海市」-もうひとつのユートピア> 

 

 科学者たちのユートピア:スペースコロニー


 科学の発達に伴い科学者たちは、宇宙に地球外知的生物(ET)の存在について探査や調査を行い、その存在の可能性が強くなるにつれ、宇宙に地球より高度に発達した文明社会についての推測が立てられました。そしてそれを基に多くの空想科学小説や漫画、映画などが創作されるようになり、宇宙に存在するユートピア的社会についての考えも広がってきました。
 しかし一方では、アメリカ航空宇宙局(NASA)を先頭とする世界各国の宇宙開発機関による宇宙ステーションの建設が始まり、宇宙に人類を移すスペースコロニー(宇宙移民島)建設計画を含んだ宇宙開発構想まで考えられるようになりました。

 スペースコロニーとは、宇宙空間に人間が暮らせる自給自足による持続的な世界をつくる、究極のユートピア建設構想というものです。今まで、ユートピアは政治家、思想家、宗教家、芸術家、企業家などによって立てられた構想だったものが、今度は科学者による科学的なものまで出てきたわけです。これが実現するかどうかは今までのユートピア建設への試みと同じような成功確立があるのではないのでしょうか。 それは、そのユートピアの実現を信じてそれに昼夜たゆまず努力する人たちがいるからこそ、様々な発展と進歩が見られ、そしてそういう夢をもたなかった人たちにとっては信じられないものが現れてきたのです。 夢を信じてそれに情熱とエネルギーを費やしてきた人たちの努力がこの地球に多くの発見と進歩を生み出してきたのです。

(写真:宇宙ステーションのシミュレーション図)

 

 企業家たちのユートピア:共同体的企業


 まるで人類の中に静かにひそむ生命力の強い種子のようなユートピア思想とは、企業家の中にも芽をだしています。特に日本ではそれがだいぶ具体化されたようです。

 アメリカを代表とする西洋経済圏では企業は、資本家のビジネスツールであるのに対して、日本型経営システムの特徴として、共同体的な生産管理と人事政策がよくあげられます。実際、生産体制だけでの共同体ではなく、生活共同体ともなる性質の企業が多くあり、これらはユートピア的企業と位置づけられますが、戦後、人々は企業の中に新たな共同体を模索してきました。そのような特殊な状況の中で機能集団である「企業」が「共同体」としての役割を兼ねるようになっていったのです。それゆえに日本企業には他の資本主義国には見られないような共同体的特徴が濃厚になっています。

 例えば日本企業を代表するトヨタは、一つのファミリーとして成長し、どんなに巨大化しようとも役員から従業員まで結束と信頼関係が強い伝統的企業です。そしてそこでは、基本的に終身雇用制であるのみならず、病院からホテル、レストラン、スポーツクラブなど、なんでもそろえたインフラ体制まで整っており、生まれたときから死ぬときまで世話になる人間も多く、一種の宗教国家的な生活共同体という雰囲気があります。そこに働くものにとっては、そこ以外の生きる場所は考えられないというユートピア的組織環境なのです。<企業のユートピア化>
 松下電器の場合は、創立者の人徳が大きく、従業員に対して親子のような関係があり、従業員も創立者に対して宗教的信仰に近い崇拝心をもったりしています。しかし創立者松下幸之助の企業理念とは、企業は物を作ることによって社会を豊かにし、人間の幸せを実現させる使命をもっているという使命感がグローバル企業松下電器の理念となっています。そこでは、自分たちの居場所としてのユートピア造りではなく、自分たちがユートピア的社会を造るんだという社会的意識を育てる企業なのです。<ユートピア的社会造りを目指す
企業>

 これらの二つの例は内向的ユートピア要素と、外向的ユートピア要素の違った性格をもっていますが、それぞれが利他主義的な社会環境の形成に影響している点においてユートピア的な性質をもった企業例として取り上げてみました。

 

 NPOによる理想的な社会造り活動


 いつの時代にも平和で理想的な社会造りを考える個人やグループが存在しました。しかし、それは同じ理想を共有する人間たちも組織化しなければ無力な構想や理想のままで終わってしまいます。

 20世紀は、組織の重要性が実証された時代ですが、21世紀は民間組織が社会造りに活躍してくれることが期待されています。それがNPOやNGOという組織的な形をとることによって、枠組みと活動に対する法的承認がえられるようになりました。

 

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