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PROYECTO KII FAUNA
ベリャビスタノルテ
自然史博物館と
紀伊の森動植物園
Proyecto del Museo de Historia Natural y del Bosque Ecologico de Fauna y Flora de Bella Vista Norte, Amambay
所在地
パラグアイ国アマンバイ県
ベリャビスタノルテ市
Bella Vista Norte, Departamento de Amambay, PARAGUAY
Ejector del Proyecto: Yoshikatsu Kii
Auspicio: Municipalidad de Bella Vista Norte
Reconocido: MEC, MAG, Gobernación de Amambay
Socio Colaborador: Genichiro Ito, Consultor D.S.
Apoyo: Roberto Esquivel Gamarra, Ramirez
Periodo 1984 -
パラグアイの東北地域アマンバイ県のブラジルとの国境町ベリャビスタノルテ市に、1972年に15ヘクタールの放置された農地を購入し、そこを50年かけて回復させた自然の森がある。
「紀伊自然史博物館と自然の森動植物園」は、日本から1967年にブラジルに移住してきた紀伊義勝が、無くなっていく自然の森や動物を残すための研究ができる場所を求めて、パラグアイに妻を伴って移住して、家族で作り上げた夢と希望の作品である。
紀伊さんは、1993年パラグアイの農牧省からの要請があり、JICAからスカウトされ、剥製術の専門家として国立標本センターに派遣されそこでパラグアイの野生動物の貴重な標本づくりを3年に渡って指導した。
市役所に現地の観光名所にされ、県や国からも貴重な自然資産だと認められて、小さな博物館もできたがすべて手作りである。
自然はみんなで守るんだというメッセージを掲げた彼の情熱が感じられる森と博物館である。


誰かが自然を守らなきゃ世界中から森がなくなり、動物たちがいなくなってしまう。...... そう思ってブラジルのサンパウロに暮らしていた 紀伊義勝さんは奥さんを連れて、土地が手に入るパラグアイにやってきた。
彼は1967年にブラジルに移住した後はじめはサンパウロのお土産屋で働き始め、動物のはく製や蝶の標本、鳥の羽で作られた民芸品などを売る仕事をしていたが、南米の豊かな動植物の美しさに魅せられて標本造りを始め、そして動物のはく製技術も本を買って独学で勉強した。自分できれいなはく製や標本をつくれるようになったが、ブラジルでは機械化農業の発展で原始林が減少し、自然動物も絶滅する傾向にあることを知って、それはだめだと憤慨したという。
彼は、ブラジル生まれの日系2世の奥さんの親戚が住んでいる町の国境を越えたパラグアイに土地が手に入ることを知り、自然がまだたくさん残されていたパラグアイに移住を決めた。とはいえ、日本政府の移住地でもなく、他に日本人もいない土地で、唯一奥さんの親戚が住んでいるブラジルの町から橋を渡って国境の川を越えたすぐのところに放置された畑の荒れ地を買った。今ではそこはパラグアイ側でもしっかりとした街になり、紀伊さんの土地は、町の真ん中に取り残された森となった。
彼はそこに自分で建てた山小屋に住んで、奥さんと二人で一人の子供と多くの野生動物に囲まれて自給自足で好きな研究に明け暮れて暮らした。 欲しがる不動産屋にうれば、15ヘクタールの土地は大変な価値をもち、彼は町一番の大金持ちにもなれたのに、彼はそんなことに興味はなかった。 苦労したのは生まれてきた子どもをなんとか食べさせて学校にも行かせようと苦心した奥さんだったようだ。
子供も毎日自転車で橋を越えてブラジルの学校に通い、そして奨学金をもらいサンパウロの有名な農業高校を卒業した。その時紀伊さんはJICAの専門家になったことで、息子をアメリカの大学に送ることができた。 息子はシリコンバレーの大学をでてコンピューターのエンジニアになり、アメリカの大手コンピューター会社に就職した。
その息子は日本語もできることから日本に派遣され、東京の新宿で大手企業(JICAも含む)を顧客とするコンピューターのサービスを担当する仕事についている。
東京に一軒家を買った息子は、父親に日本に来て一緒に暮らすことを勧めたが、紀伊さんは奥さんが眠る墓と、動物たちがいる森と博物館を置いていくことはできないと、今でも一人でジャングルに暮らしている。
息子も紀伊さんが亡くなったら、森を守るために帰るつもりらしい。 家族の夢は引き継がれていくようである。


市役所の支援を受けて作った自然史博物館



自然史博物館の展示標本類ははく製、昆虫標本から、紀伊さんが集めた化石まである。

紀伊さんが作製したピューマの剥製


国境のすぐ近くにある15ヘクタールの森

パラグアイのジャングルで育った紀伊さんの息子ビニーは、シリコンバレーの大学をでて、米国大手のコンピューター会社から日本に派遣されている。

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