
スピリチュアリズム






スピリチュアリズム(英: Spiritualism)は、心霊主義(しんれいしゅぎ)の和訳のひとつで、人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し、現世の人間が死者の霊(霊魂)と交信できるとする思想、信仰、人生哲学、実践である。Spiritualismは心霊術、交霊術、心霊論、降神説[2]などとも訳される。
心霊主義はspiritualism(スピリチュアリズム)の日本語訳のひとつであるが、「唯心論」「精神主義」とも訳されるため注意が必要である。唯心論は、精神の独立した存在と優位を説く学説[3]であり、哲学においては、心霊主義(心霊論)は唯心論に含まれる。
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心霊主義は、現在では主に、ヨーロッパ大陸とラテンアメリカで見られ、特にブラジルで盛んである。世紀半ばにフランス人アラン・カルデックが体系化し、輪廻転生と霊魂の進化を教義に取り入れた心霊主義の一派カルデシズムはブラジルに伝えられ、モーセ、キリストに次ぐ第三の啓示として受け入れられた。20世紀初頭には、ブラジルは世界に冠たる心霊主義(スピリティズム[)の国になった。現在ブラジルのカルデシズムの影響力は、その思想が生まれたフランスをはるかにしのいでいる。 教理の勉強会で読まれる本は、アラン・カルデックの『霊の書』、『霊媒師の書』、『エスピリティズモによる福音』であるが、ブラジルのカルデシズムの「法王」と呼ばれる霊媒シコ・シャビエール(ポルトガル語版)(1910年 - 2002年)の著作も好んで読まれている。(出典:Wikipedia)
日本の神霊主義
日本においても、西洋でのスピリチュアリズムの台頭とほぼ同じ時期の幕末、『仙境異聞』や『神界物語』など、平田篤胤(1776年-1843年)とその門下による死後世界の研究や、黒住教(1814年設立)、天理教(1838年設立)、金光教(1859年設立)など、「神がかり」による教派神道の成立が相次いだ。明治以降には、仏教学者の鈴木大拙(1870年 - 1966年)が、死後の世界を描いたスヴェーデンボリの著作『天界と地獄』[54]などを翻訳・紹介し、欧米の神秘思想・心霊主義が日本にも伝えられブームとなった。大正期には、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた宗教団体・大本(1892年設立)が巨大教団へ成長し、日本の新宗教・新新宗教の源流の一つとなった。
心霊主義・神智学は、1960年代のアメリカの対抗文化を背景として1970年代以降に欧米で広まったニューエイジ運動の源流でもあり、日本ではニューエイジは「精神世界」として受容され1980年代に広まった。心霊主義関係の海外の邦訳などの影響で、日本では1980年代半ばから「死後の世界ブーム」がおこり、1986年ごろから人の守護霊の声を聞くという宜保愛子らが霊能者としてテレビに出演するようになった。脇長生の門下桑原啓善(1921年 - 2013年)は、脇の思想にイギリスの霊界通信の内容を加味させて、ネオ・スピリチュアリズム(1985年 - )を作り出した。また、俳優としても知られる心霊研究家 丹波哲郎による心霊主義の著作「大霊界シリーズ」が1987年からに出版され通算で250万部に達し、死後の世界を幻想的に映像化した映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」(1989年)は続編「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」(1990年)とあわせて300万人の観客動員数をよんだ。1991年にはNHKが臨死体験を取材しNHKスペシャルで放送され、臨死体験が一般社会にも浸透するきっかけとなった。この放送は、宗教やオカルトの問題と考えられていた「臨死体験」にNHKが真正面から取り組んだことで、大きな反響を呼んだ。またチベット仏教ニンマ派の死者の枕頭で誦される仏典で、転生へと誘う光に満ちた死後の世界が描かれた、通称チベット死者の書も1990年代に注目を集めた。臨死体験は、京都大学のカール・ベッカーや中部大学の大門正幸など、一部の学者にも探究される。
心霊主義・近代神智学は、オウム真理教(1989 - 2000)などの日本の新宗教にも影響を与えた。東京外国語大学の樫尾直樹は、オウム真理教のコスモロジーの骨格には、「精神世界」の潮流の中でも、とりわけ心霊主義や近代神智学の影響がまざまざと見て取れると指摘している。
参照:Wikipedia
心霊主義
霊魂の死後存続や死者との交流という信仰は世界中に見られるが、心霊主義(スピリチュアリズム)という言葉は、19世紀半ばにアメリカで始まったものを指すことが多い。死後の世界との交信や超能力のパフォーマンスを焦点とする「宗教運動」とも理解される。霊魂との交信は交霊会(降霊会)と呼ばれ、霊媒が仲立ちとなることが多い。近代の心霊主義は19世紀後半に全盛期を迎えた。
日本では、浅野和三郎(1874年 - 1937年)が心霊科学研究会(1923年)を設立し日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を生み、欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。イギリスで心霊主義を学んだ江原啓之(1964 - )が、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジし、スピリチュアルという言葉を用いた。江原は2000年代初頭メディアの寵児となって「スピリチュアル・ブーム」が起こったため、現代の日本では、スピリチュアルという言葉は心霊主義を含むものとしても普及している。なお、心霊主義(スピリチュアリズム)は、霊性や宗教性、精神性、精神世界と訳される「スピリチュアリティ」とは異なる概念である。しかし、日本では心霊主義同様、スピリチュアリティもスピリチュアルと呼ばれることがある。
近代の心霊主義は死者との交流から始まったが、交霊会、骨相学、近代神智学とそのすそ野は広がり、科学者や思想家の支持を得ながら時代の精神へと成長し、やがて社会改革運動として発展した。世紀末から第一次世界大戦までのモダニズムを生み出した精神的温床のひとつであるが、その中では異彩を放ち、文化史・思想史においては主流とならず、周辺的なテーマとして扱われてきた。1848年にアメリカ合衆国で起こったフォックス姉妹のハイズヴィル事件によって大きな流れとなり、最盛期には欧米で800万人以上の支持者がいたと言われる[11]。社会に広く受けいられ、多数の人が真実であると信じ、当時の代表的な科学者たちの調査対象になっていた。20世紀に入る頃には現象としてはほぼ終焉したが、20世紀後半においても影響を与え続けている。
英語圏においては、ウィリアム・ステイントン・モーゼス『モーゼスの霊訓』(1883年、インペラールという未知の上位者の霊によるメッセージとされる)、ウィリアム・トーマス・ステッド『ジュリアの音信』(1914年、亡き友人ジュリア・エイムスのメッセージとされる)、ジョージ・ヴェール・オーウェン(英語版)『ベールの彼方の生活』(1921年、オーウェンの母と友人たちや守護霊などによるメッセージとされる[40])、ジェラルディン・カミンズ『マイヤースの通信』(1932年、故フレデリック・マイヤーズのメッセージとされる)、グレース・クック『ホワイトイーグル』(初刊1937年、ホワイトイーグルと名乗る聖ヨハネの霊によるメッセージとされる)、モーリス・バーバネル『シルバーバーチの霊訓』(初刊1938年、シルバーバーチという未知の上位者の霊によるメッセージとされる)といった霊媒による霊との交信記録、いわゆる「霊界通信」が次々と出版された。これらを霊界からの重要なメッセージであると考える人々によって研究され、一部は日本語にも翻訳されている。日本の書店では「精神世界」の棚に置かれることが多い。
『シルバーバーチの霊訓』によると、死後の世界は階層的で、地球圏に近いほど、死後の環境が地上に似ている。それが上の界に行くにしたがって、美しさと神々しさを増す。さらに上の界では地上の言葉で表現することが困難になる。心霊主義とは、こうした理解を人類へ促すために、高級霊が中心となって全霊界により計画された運動であるという。
(出典:Wikipedia)

