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比較哲学研究

中国哲学

比較哲学(読み)ひかくてつがく(英語表記)comparative philosophy 英語

 

 東西哲学の比較研究を通じてその相異と類似を明らかにする学的な営み。比較哲学とよぶに至ったのは、1923年にフランスのマソン・ウルセルMasson Oursel(1882―1956)が『比較哲学』を公にしたときである。  

 比較哲学は、哲学者にとっては具体的すぎるが、歴史家にとっては抽象的すぎる実証哲学であるというのが彼の主張であり、2000年余の伝統をもつヨーロッパ文明、インド文明、中国文明を背景に、類比(アナロジー)の方法で東西比較を行う。部門としては比較年代学、比較形而上(けいじじょう)学、比較心理学、比較論理学をあげる。 第一次、第二次世界大戦を経て、西洋文明の没落シュペングラー)や世界史的視野(トインビー)が主張され、科学の進展はグローバルで総合的な研究を促し、学際的研究も盛んとなった。比較哲学はこの学的風潮に対応する哲学の新しい傾向である。しかし比較哲学が哲学の新しい分野をなすか、方法にとどまるかについては論議がある。方法としての比較哲学あるいは比較哲学の比較方法については、事実的受容ないし影響関係を扱う狭義の比較、時空を超えて思想と思想を比較する対比、とくに異質な伝統における思想の同時代的平行関係、東西思想の構造比較、諸思想の比較を通じての世界哲学ないし世界哲学史の理念追求、諸思想の主体的な対決など、広狭さまざまな仕方が考えられる。とくに主体的な対決の場合は比較哲学は哲学そのものとなると考えられる。

川田熊太郎(1889―1981)は、科学としての比較哲学に言語学的・形態論的・系統論的・体系論的の方法、哲学そのものとしての比較哲学に選択論的・問答論的の方法をあげ、客観的な前者探究を踏まえて主体的な後者の営みがなされるとした。これは、比較哲学が客観的実証的な研究から主体的対決の場へと深まり、比較哲学が哲学そのものとなり、かつ哲学がさらに比較哲学を要求することを、適切に示している。

元来人類の個別文化圏に即して成立し展開されてきた哲学的思索の成果や構造を比較検証し将来の普遍的 (汎人類的) 哲学の樹立の補助たらしめようとする学問。「比較哲学」という名称はフランスのインド学者マッソン=ウルセルの提唱によるが (『比較哲学』 La philosophie comparée〈1923〉) ,そのような試みはキリスト教のアジアへの布教の結果たる東洋思想の発見以来,さまざまな形で行われてきた。特に 19世紀イギリスの F.M.ミュラー,ドイツの R.オットーなどの業績は重要である。 20世紀の2つの世界大戦を通じてヨーロッパ文明への反省から比較哲学的研究は次第に盛んとなり,また東洋からの呼びかけも行われ,いくつかの研究所の創設や,国際会議が行われている。その代表的なものは 1939年に始ったハワイ大学における東西哲学者会議およびその紀要やローマの中東極東研究所などである。

 ドイツ、フランスをはじめ、アメリカ、インド、日本などでも、比較哲学研究は、とりわけ第二次大戦後盛んとなった。日本では川田熊太郎、中村元(はじめ)らによって比較哲学ないし比較思想が唱道され、1974年(昭和49)に全国規模で比較思想学会(欧文名称では比較哲学会)が創設され、機関誌『比較思想研究』が刊行され、今日その成果が集積されている。今後は比較文化・比較文明、あるいは比較宗教・比較倫理・比較論理など諸種の隣接領域との関係を踏まえて、比較哲学の概念と方法がさらに深められることが求められる。

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